祈りとものさしとアートと

自分のものさしを発見する場所

お金に関すること

二日目。まずは続けること。特に書きたいことがあるわけではないが、今日も前へ進む。最近引っかかっていること。お金のこと。有難いことに生活が苦しいというわけではないが、約10年会社勤務をし、現在は専業主婦をさせて頂いている。対人関係のストレスがないというのが何よりありがたく、アウトドアというわけではないが、元々一人で何かを計画(夢想)し実行することが好きなので、家事の他に経理や事務などの夫の仕事の手伝いをする他は、夢のような時間が過ごせる。庵で生活禅を営みながら暮らすというのはずっと夢だった。だからといって安住することなく、未完であることがやはり美しいと感じるので、インスピレーションに耳を澄ませ、そのための技術を磨き続けていく。独学では世界観が狭くなるので、芸術や旅などを通じて外から吸収したいと感じることが増えた。そのためにはお金がいる。

正規に入ってくる報酬は丁寧に取っておきたい。余裕資金というものの必要性。まずお金に纏わるネガティブな思い込みを取り外す必要を感じる。例えば、楽をするとか、欲望に囚われるとか、人生が駄目になるとか。もっと前向きにまっすぐ向き合うこと。お金は最低限あれば楽しく清く正しく生活することはできるが、自分たちの可能性を広げるため、人々にいい影響を及ぼすような面白いことを創造するためには、かなり大切な要素であるように思う。お金は影響(フォース)を及ぼす。その点ではお金は芸術行為(表現物)と同じである。ただし、権威や名誉のためにそれを使うという影の部分が存在している。原動力として完全に悪というわけではないが、今までの歴史を辿ってみても、男性社会と呼ばれるピラミッド構造の影がちらつくのである。数値化された結果の頂点に立ったものが優遇される。その幻想のものさしから卒業しなければならない。

自力と他力。それを合わせると自然になる。言葉や物質の奥にある本質の領域。ビジネスも愛を起源として社会に影響を与える目的でお金を使うのならば、芸術と呼ぶことができる。輝かしい表面ばかりに気を取られるのではなく、その奥にある光を見て判断しなければならない。

ブログ元旦

タイトルとアイコンが整ったのでやっと書き始める。挫折ばかりして来た日記だが、まともな意義に出会ったので、暫く続けてみることにする。神なるものを時々自分の内に確認することがある。最近3つの今これからやるべきことが提示された。一つ目は、家族やクライアント一人一人の幸せ、世界中の人々の幸福と恒久平和を祈ること。二つ目は、自分の価値観がブレないように日記を書くこと。三つ目は芸術活動に勤しむこと。一つ目を主題として、二つ目は、自己肯定に不可欠な精神的自立、すなわち自信を維持するため。自分のものさしを簡単に他人に受け渡す弱さがあるため。自分をいつの間にか信じることができなくなる傾向があるのを戒めるため。三つ目は芸術活動、というのはどんな表現手段であれ、インスピレーションを受け取る訓練である。創造することは素晴らしいアイデアに辿り着くためのきっかけである。表現物の真意は他人に伝わり、新たな展開を生む。常にそういう姿勢でいるため。意識的にすること。

 

ところで、自分の価値観とは何か。ここでそれをはっきりさせることに意味などあるのだろうか。価値観という大それたものを確認する必要はない。今何を思っているか、どうしたいのか、したくないのか、そういう日常の心の内の掃除を軽く済ませたいだけなのだ。何かをここで伝えたいわけではない。さて、今私が気になっていることはあるだろうか。時間を何に使うのか。突然書を書きたくなった。水でも書けるシートを購入し、筆に水を含ませていくつか書いてみる。何て気持ちがいいのだろう。ある言葉を発音した時のように、体の内が熱く少しだけこそばゆいような心地よさ。言葉と離れた所にある何か。それを発見したいのかもしれない。料理も創造しながら無心になれる楽しみの一つだ。

 

時々、精神がひどく乱れることがある。感情は暴れ馬になってしまったら、ある程度は放っておくしかないのだが、何とも不快なので早く収めたいと思う。ただその度に僅かなことではあるが、気付きというのが体感として訪れる。考え込みたいわけではない。あくまでシンプルな方へ向かいたい。つまり、何も進歩していないと感じていたがよくよく振り返ってみれば、その僅かな振動がとても大切な一歩に着々と繋がっているということ。怠慢や傲慢に陥らない限り。未来を知りたいのだろう。時間を無駄にしているような感じがして、焦りがあるのだろう。だがこの前みたいに、いつでも提示がなされるわけではない。今日のところは、このブログを立ち上げたこと、書に挑んだこと、毎晩の祈りを捧げたということでまずまずの出来栄えではないだろうか。今の自分に足りないところがあれば助言をくださるように祈るばかりだ。