祈りとものさしとアートと

自分のものさしを発見する場所

多くの人の幸せを考える

書くことに意味があるのか、わからない。でも何もしないよりはいいんじゃないか。そういう気持ちで書く。すっかり間が空いてしまった。続けるというのは難しいことだ。何をここで書きたいのか。何となくあるんだけど、それがこれからの未来のことであるということ。それに雑念が絡みついている。闇色の粘りつくような影。私が持っているものなんて本当にない、ここで卑下しても何の意味もないのだけれど、時間を無駄遣いしているような申し訳なさがあって、集中できない。自分と向き合うなんて偉そうなことを言ったけど私にそれができているのだろうか。自分に持っているものがないなんて傲慢だということは分かる。生活できるだけの過不足のない最適な能力が備わっているのだから。暇だから余計なことを考えるのだろう。今を楽しまないと。誰かの心配をしたり、未来を不安に思ったり、それこそ時間の無駄遣いだ。

意味があるってなんだろう。考えることは無駄だとしたら、今の時間は一体何なのだろう。有意義なことをしたい、残された時間は少ないのだから。だからと言って焦っては逆効果。深呼吸をしてみる。一体今の私は何をするのがベストなのだろう。無意識に封じ込めている何かがありそうな気がしてならない。表面的に生きることの浅はかさを早く解消しなければならないのに。ずっと同じことが気になっている。言語化できていないのだけれど。愛にすり替えているのではないだろうか。怠けるわけにはいかない。だからと言って肥やしにされるわけにもいかない。ただ歩くこと、息をすること、それのどこが罪なのだろうか。感覚をとにかく言語化してみる。断片的でもいい。私が何を考えているのか。それをこの文章から読み取りたい。私の頭の中にある声を書き出してみる。蠢いているような声もある。詩を書きたいのか。才能があるとかないとか。捨てきれない思い。羨望。承認欲求。未熟さ。対人恐怖。どうでもいいと押し込めているものは本当にそうなのか。映画を見たり、ニュースを見たり、情報に触れたり、そういうことで自分を生かしている。もっと本質的に役に立つことって何だろうか。そんな考えは傲慢だろうか。誰にとっての傲慢?一般常識に照らし合わせて?いつになったら比較して貶める癖を止めるのか。神様と対話しているのだろうか。私の本気って何だろうか。取り繕っていないだろうか。考えすぎ?見事な堂々巡り。私の得意分野だ。どうやったら自分と対話できるんだったっけ?疑問を投げかける?私の進むべき方向性、というより納得感が足りない原因は何だろう。神の天糸があまり感じられないこと?これから色々やらなければならないことがあるから、それに対するストレス反応だろうか、単に。だとすればどうやってそれを乗り越えるかを考える?隙間を埋めることを考える。人生ってそれでいいのだろうか。残された人生をどう生きるかということへの考察が不足しているのだろうか。時間を有効に使わなければならないという命題だけが頭の中で反芻していて、現実が伴っていないことが何となく不安なのでは。仕事が適当な間隔で連続してあればそれは解消されるのか。大きなものを守りたいという愛念が薄れたことによるのではないか。自分のことだけ考えているからではないのか。

多くの人を守り救い幸せにするには一体何をすればよいだろう。無理をして働かないこと。そして適度に働くこと。愛する人が近くにいること。問題を挙げればキリがない。奴隷制のような働き方、富裕層が牛耳る通貨制度、対人関係問題(更新されない結婚制度や企業の旧体制)、選択肢の少ない医療制度、依存関係(支配する親・支配される子)にある家庭問題、機械人間を大量生産する教育制度、創造性や感性の乏しさと宗教観の欠落、近視眼的な生き方、カルト宗教の選民思想。愛の世界の扉を開ければそこには多くの立ち向かわねばならない壁が立ちはだかっている。愛と戦争はもしかすると紙一重なのではないだろうか。頭をよぎるのは、どんな無駄なことも残酷なことも失敗も問題も全て必要なこと意味のあることなのではないかということ。どこまで人為的に手を加えようとするか。人間が計り知れることではないからこそ、とにかく何かをすること、失敗を繰り返し過ちに気付きその中で軌道修正されていくこと。全てに意味があると考えること。大抵この意味がないのではないか、という考えが道の邪魔をする。食べて、眠って、笑って、息をして、歌って、描いて、うずくまって、泣いて、叫んで、怒って、憎んで、愛して、疲れたり、飛び跳ねたり、期待したり、緊張したり、不安になったり、自信がなかったり、自分を責めたり、汗水流したり、読んだり、聞いたり、見たり、書いたり、そういう全て。全人類を幸せにしている人なんていない、それを願ったり、幸せに生きている人がいるだけ人の幸せを祈り、自分の幸せを考え行うことが全人類の幸せに貢献する自分の幸せのために他人を利用しては結果的に幸せになれない。他人から承認されたら評価されたら幸せになる、これは本当ではない。自分から思わず与えたくなるほどの愛すべき対象が見つかり、心が満たされるほどの幸せが溜まってきたらお裾分けする。これが自然の順序だろう。諸問題や戦争が何となく次元が違うような気がするのはなぜだろう。問題を正しく捉え、身の危険を感じる時はまず逃げる。問題を把握することさえできれば、正しく怒りを発することができる問題に気がつかず無意識に取り込んでしまった時、問題は悪化する。スキルス性の癌のようなものだ。肉体の癌に比べ致死率は低いものの、下手をすると死後にも長い影を落とす。幸せな世の中にするとはどういうことか。まとめると、まず問題を正しく認識し、依存心を見抜き、逃げる、怒る、許しなどの段階を経ること。思わず与えたくなるほど愛すべき対象を見つけること。それによって満たされた心の幸せの余った分を周りにお裾分けすること。全てに意味があるということを知ること