祈りとものさしとアートと

自分のものさしを発見する場所

本当の薬

怠け。そんなワードが頭をよぎる。何かがずれ始めている。何がかはよく分からない。魔が入っているというか。大きな行事を終えて、気が抜けているということはあるかもしない。軽い燃え尽き症候群のような。新たに始めるという行動が必要らしいが上手く切り替えられないでいる。生理前ということも相まってどうも短気になったり、焦燥感が強まったり、混乱しやすかったり、思い切って休んだ方がいいのかとも思うが、こうやって書くことで気持ちを紛らわすくらいのことはできるかもしれない。つまり心の問題だ、一時的な。それでもその積み重ねは大切なのかもしれないとも思う。ブツブツと陰気な呟きをスパッと退治してやりたい。本来一瞬一瞬が心にとっては選択の連続のはずだが、感情のままに流されている。これはよくない。最近は直感もあまり冴えていない。全体的に流されている。やらなければならないことの連続で、心もストレス状態というか彷徨っているような感じがする。だからと言って自分の思い通りにしようとするのも違う気がする。忍耐力の不足と言ってしまえばそれまで。我が強く出ている、怠け心に負けているというのも同じく。何かがある。思い込みなのか本当なのか訝しげに思っていること。無意識のうちに自分に嘘をつき、我慢することで心が傷ついた過去、トラウマ。いつか憎しみが爆発してしまうのではないかという恐怖感。その燻っていた自分の心の問題が露わになっているのではないか。確かに生理前の精神不安定の度合いが大きい時は、恐怖感が出てくる。飲み込まれそうなほどの、どう立ち向かってよいか分からず、布団にくるまって悪魔が通り過ぎるのを待つしかないような。それを解決しようとするべきか、放っておくべきか。そこを深く掘る必要はないのではないか。明るく前向きな考えに持っていくようにした方が良いのではないか。個人の小さな心の問題にクローズアップしすぎているような気がする。この纏わりつく負の想念をなんとかしなければならない。嘘でも何でもいいから明るい言葉を発する。ありがとうとか、感謝していますとか。言霊の力を借りる。物理的な対処法があるような気がする。おそらく脳内物質やホルモンの量が変化して波動が低くなるのではないか。ただ肉体が影響を受けているだけ。そして表裏関係にある心も。深い意味なんてない。ただ影響を受けやすい体質ということは、それを乗り越える術を身につけるための修行であると捉えられる。確かに、今数回口にしただけで薬を飲んだかのように体が少し軽くなった。薬か。ずっと薬の勉強をしてきて薬は毒だと思う面が多かったが、狭義の物質的な面だけを見ていたのかもしれないし、物質かどうかに関わらず本来の薬とは結果的に波動を上げるものなのかもしれない。今更になってこんなことを思う。